「イタリア3大チョコレートの町」をご存知でしょうか。1つ目はVenchiやCaffarelで有名な「トリノ」、2つ目はPERUGINAで有名な「ペルージャ」。そして3つ目は、南イタリア、地中海に浮かぶシチリア島の「モディカ」です。
この記事の写真はSONY α7 IV(ILCE-7M4)とSONY FE 24-105mm F4 G OSS(SEL24105G)の組み合わせで撮影しています。
マルタ共和国からフェリーでシチリア島へ
時刻は午前5:00。今日はマルタ共和国を離れ、モディカへ向かいます。
フェリーの出港時間は6:15。この便が本日の最終です……笑。朝が早すぎてバスが無いので、タクシーを手配して港へ運んでもらいました。出港時刻の30分前に乗船受付が終了するので、かなり早めに来ました。しかし出港時刻の30分前になっても受付どころか港すら閉まっております。一緒に乗る方たちと途方に暮れていると、ようやくドアが開きました。
ヒヤヒヤしましたが、無事に乗船できました!このあたりのフェリーには必ずエスプレッソマシンが備え付けられているところにお国柄を感じます。ヴァレッタからシチリア島南岸のポッツァッロまで、1時間45分の船旅です。朝日と迎えながらの船出。乗船できたことへの安堵感とあいまって、感動の瞬間でした。
外はあっという間に明るくなり、前方にシチリアの大地が見えてきました。まどろんでいた乗客たちも目覚めて、窓からの風景に釘付けです。
トレニタリアの列車でモディカの町へ
シチリア島・ポッツァッロに到着しました!3日ぶりのイタリアです。ここから駅まで歩いて、列車でモディカの街へ向かいます。
ポッツァッロの港からトレニタリアの駅までは3.2kmの道のりで、歩いて45分ほどかかりました。私はポッツァッロの街を見たかったので歩きましたが、もしかするとバスやタクシーがあったかもしれません。
トレニタリアの駅に到着しました。すごーく簡素な駅で、駅員もおらず券売機も壊れていました。ロシアから旅をしてきたカップルが乗車券を変えずに困っていたので、オンラインで乗車券を買ってAirDropで送りました(代金は現金で精算してもらいました)。というのも、ウクライナとの戦争のせいでクレジットカードが使えなくなっていたようです。こんな場面ではAirDropが便利ですね。彼と彼女は良い旅ができたでしょうか、平和に暮らせているでしょうか。
シチリアの大地を眺めながら、モディカの街へ向かって列車に揺られます。地理で習った地中海性気候(CS)の通り、乾いた大地にオリーブやコルクガシが間を開けて生えています。地中海性気候は夏に乾燥、冬に湿潤となる気候で、ここシチリアにおいて夏場はほぼ砂漠と化します。
あっという間にモディカに到着しました。憧れたシチリア島のイメージのままの風景が広がり、言葉がありません。
モディカは、シチリア島の東南部にある8つの町「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」のひとつとして世界遺産登録されています。これらの町は中世に発展しましたが、1693年のヴァル・ディ・ノート大地震で壊滅的な被害を受けました。地震の後、地元の貴族らのはたらきで後期バロック様式で統一された建物が築かれ、町は再建されました。
「モディカチョコレート」をご存知でしょうか。アステカ帝国からスペインにカカオが渡った時代そのままの製法で作られる伝統的なチョコレートで、気温35℃でも溶けないチョコレートとしても有名です。15世紀のモディカ領主がスペイン貴族だったことから、南米アステカ由来のチョコレートを滋養食品として作る職人がいたため、チョコレートの町として有名になりました。
実はモディカでモディカチョコレートは食べなかったのですが、日本に帰るときにローマのチョコレート屋でモディカチョコレートを購入しました。グラニュー糖由来のジャリジャリした食感が残るチョコレートで、かなり硬いです。フレーバーはレモン、オレンジ、バニラなどを購入しましたが、私はオレンジが一番好きでした。溶けにくいので、お土産にぴったりです。私もお土産で色々な人に渡しました。
マリトッツォとエスプレッソで一息。Caffe Adamo、白を基調とした店内と、美味しいペストリー、カフェが素晴らしいところでした。今度はジェラートも頂きたいです。
町を見下ろす場所を目指して、坂を登ります
モディカの町は丘の上下で分断されています。上の町(モディカ・アルタ)は住居が主で、商店やカフェは小さな通りに少々存在するのみです。一方で、下の町(モディカ・バッサ)は大きな通りがあり、商店やカフェに加えて美術館や劇場も点在して賑やかな様子です。また、鉄道の駅があるのもモディカ・バッサです。地図は見ないで、上を目指しながら山の手を歩いてみます。
ウェディングの準備。カトリックの国々、特にイタリアは結婚するまでがとても大変で、事実婚が多いそうです。そんな時代でも結婚するって良いですね。
世界のどこを探してもこの風景は無いでしょう。モディカはバロック建築の結晶と呼ばれ、美しいバロック建築様式をいたるところでお目にかかれます。華美な装飾、バロック建築の特徴である「光」を大切にした意匠を感じることができます。もう二度と大地震が来ないことを切に願います。
ついに展望スポットへ到着しました!日本の展望台でおなじみの、有料の望遠鏡があって親近感が湧きました。
なんという眺めでしょうか。統一された町並み、植生、地形、全てが合わさって絶景を生み出しています。階段がなかなかキツイので、疲労と相まって本当に感動しました。マルタほどじゃありませんが、とても暑いですしね(39℃)。
モディカのドゥオーモ、サン・ジョルジョ大聖堂へ
坂を降りて、バロック建築の代表格であるサン・ジョルジョ大聖堂を目指します。
上の町、モディカ・アルタは階段移動がメインとなります。スーツケースのことを考えると、下の町、モディカ・バッサに宿泊することをおすすめします。モディカに暮らす人々は、懸命に階段を登り降りしてその日を生きていました、どれだけ時間がかかっても。東京の便利さに慣れすぎた私はこんなに強く生きられません。
ドゥオーモに近づくにつれて、ドレスクロージングに身を包んだ人が増えてきました。祝い事でしょうか。
ドゥオーモ、サン・ジョルジョ大聖堂に到着しました。どうやら結婚式が始まるようです!こんなに素敵な場所で式を挙げられるのは本当に羨ましい…!
私の他にも何人かカメラを持っている人がいたのですが、私も含めて「ちょっと撮っていきなよ!」を声をかけられ、少々お邪魔してきました笑。
皆さん楽しそうです。そして服装が意外にもカジュアルです。スニーカーの方までいました。自身を持って着こなしていて素敵です。楽しめる空間を一緒に作ることがマナーですから、楽しそうなヤツが最高で最強です。
参列者が続々とやってきます。声をかけられこそしましたが、長居は無用。幸せな空気を吸えたので大満足です。ありがとうございました。
ヴァル・ディ・ノートの町、ラグーザへ
私はモディカの町には宿泊せず、ヴァル・ディ・ノートの町々のひとつであるラグーザに宿を取りました。モディカからラグーザまでは列車で20分少々で着きますが、列車が1〜2時間に1本しかありません。列車の時間に合わせてモディカの町を後にします。
次回はラグーザを歩きます
ラグーザは谷によって町が分断され、2つの地区、ラグーザ・スペリオーレとラグーザ・イブラが存在しています。その光景は唯一無二。お楽しみに。