
ミケランジェロ広場から、おはようございます。
この日はフィレンツェで最古のカフェ”Cafe Gilli”から始まり、ヴィーナスの誕生が有名なウフィツィ美術館に行きました。夕方はアルノ川のほとり、ポンテ・ヴェッキオの近くでサンセットを楽しみました。
夜にはジェラートを食べて、屋根のない美術館とも評されるルネサンスの街・フィレンツェを目一杯楽しめたと思います。
早朝のフィレンツェで穏やかな時間を

どこの街でも朝は特別です。観光客がまだ動き出していない平日の早朝、街を歩くとその本来の姿がよく見えてくる気がします。ひんやりとした空気と仕事に向かう人々。世界的観光地の生活が垣間見えると嬉しい気持ちになります。


うっすらとかかっている雲が、南イタリアから離れてきたことを感じさせてくれます。



喧騒はありませんが、少しばかり慌ただしい雰囲気。イタリアはのんびりしているイメージがありますが、北部の人々はせわしなく働いているそうです。イタリアのGDPの大半を生み出す北イタリア、両シチリアだった南イタリアとは全く別の雰囲気を醸し出しています。


フィレンツェの石畳の道を歩くと、メディチ家のパトロネージ(文化保護)がこの街を育んできたことを少し感じられます。街中では多くの工事が実施されていて、フィレンツェはこの先も少しづつ姿を変えつつ、ずっと美しいまま残るのだなあ、と思います。
現在のイタリア経済では観光業が大きな割合を占めており、フィレンツェもその一翼を担っています。ただし、観光業に依存しすぎることで一部の地元住民が家賃高騰や過剰な観光客流入に苦しむ現実もあると聞きます。
フィレンツェではこうした課題を解決するため、観光税の導入や文化遺産保護への投資が行われています。美術館や歴史的建造物の維持には多額の資金が必要で、それを地元の人々と観光客が一緒に支えているという構図が興味深いと感じました。



フィレンツェ最古のカフェ “cafe gilli”

朝の散歩の後は、1733年創業でフィレンツェで最古のカフェ(バール)、”cafe gilli(カフェ・ジッリ)”に訪れました。1733年と言えば、日本でいうと江戸時代の享保18年。マツケンサンバでお馴染み?の徳川8代将軍・徳川吉宗の時代であり、飢饉によって享保の打ちこわしが発生していた時代です。その時代は脳内でどうしても浮世絵や屏風で再生されてしまいますので、当時から概ねこのような店構えで営業していたのかと思うと、気が遠くなります。
このカフェは地元住民から観光客まで幅広い層に愛され、現在もフィレンツェの文化と経済の一部を担っていると感じました。このカフェの存在は、フィレンツェが観光と伝統を両立していることを象徴している気がします。

カウンター越しに微笑むかわいいバリスタさんがいて、「おれたちの写真撮ってよ」と言われて撮影。写真右側に映る彼は Luca Picchiさん。気さくなLucaさんとはそのままインスタを交換。「またフィレンツェに来たらぜひ寄ってね」と言われ、心まで温かくなりました。


連日の暑さのせいであまりお腹が空いていなかったので、注文したのはカプチーノのみ。お客さんがほとんどいなかったので、ゆったりと丁寧に作っていただけました。フォームミルクが天才的に滑らかで、職人技で淹れてくださったエスプレッソと混ざり合って最高の味でした。暑い日に飲むホットドリンクも良いですね。


創業から289年が経過したcafe gilli、ここには長い歴史を感じる座席やバールの雰囲気たっぷりのカウンター、メリーゴーランドが回っているレプブリカ広場にせり出たテラスがあって、華やかな雰囲気でした。

「写真を撮ってくれたお礼」と、コーヒーのムースをいただきました。旅の素敵な思い出のひとつです。
ルネサンスの宝庫、ウフィツィ美術館

フィレンツェが「ルネサンスのゆりかご」と呼ばれる所以が、このウフィツィ美術館に詰まっていると思います。1560年にメディチ家のコジモ1世が建設を命じたこの建築は当初は行政機関であり、分散していたフィレンツェの官庁をひとつの建物に収めさせたものです。

コジモ3世の死後にメディチ家の断絶が決定的なものとなったとき、最後のメディチ家後継者であったアンナ・マリア・ルイーザは、メディチ家の宝が国外へ流出することを懸念していました。命あるうちに財宝を然るべきところに置かねばならないと考えた彼女は、ある条約を作成しました。家族協定と呼ばれるPatto di Famiglia(パット・ディ・ファミーリア)には、次のように記されています。
メディチ家のすべての資産を下記の条件下で、トスカーナ公国に寄付する。
これらの資産は、トスカーナ公国外には持ち出してはならない。
これらの資産は外国人の興味を惹き、公共の利益になるように利用されなくてはならない。
メディチ家が所有していた膨大な芸術作品、世界に轟く大傑作たちが、パット・ディ・ファミーリアによって未来永劫フィレンツェの地に存在できるようになったのです。



毎年2月18日は、アンナ・マリア・ルイーザの功績を讃えてフィレンツェ中の美術館が無料開放されます。


ウフィツィ美術館は1769年、ハプスブルク家・レオポルト1世の時代に一般公開されるようになりました。
いまの世の中、美術品もオンラインで閲覧することはできます。しかしながら、作品の迫力、立体感や作者の筆運びなど、生々しい様子を見たいならば足を運ぶほかありません。ウフィツィ美術館は、結構近づいて作品を鑑賞することができ、ディテールがわかります。美術品には鑑賞距離があるそうですが、常識的な範囲内で自由に見た方が楽しい気がします。

ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」。ルネサンスの最盛期を伝える名画のひとつです。

同じくボッティチェリの「プリマヴェーラ」。世界で最も有名で、議論の的となっている絵画作品のひとつです。
これらの二作品は、日本ではサイゼリヤの絵として有名だと思います。本物を見た後ですが、サイゼリヤver.もなかなか悪くないと感じています。「フィレンツェ風〜」という名前でお料理を出してくれれば、よりルネサンスな空間になるのではないでしょうか。
ボッティチェッリのふたつの大作は世界中の人々からも注目の的のようで、人だかりができていました。とはいえ、全然たいしたことはない混雑でした。上の写真は望遠端で人の多さを強調するように撮影したため、圧倒的に混雑しているように見えます。世界の大傑作ですし、ギャラリーが多い方が絵になるでしょう。

ヴェッキオ宮殿と広場の風景。いまとほとんど変わっていませんね。お馬さんがいなくなって歩行者天国になったくらいでしょうか。

カラヴァッジョの「メドューサの首」。

ウフィツィ美術館を巡る中で感じるのは、イタリアがいかにして「美術の国」としての地位を築いたのか。その背景には芸術家を支援するパトロンや、栄華を極めたメディチ家の存在がありました。
ウフィツィ美術館を後にして、宿に戻りました。美術館で疲れたというのもありますが、この日は気温が40℃近くあり、このまま散策を続けるのは少々危険だと判断したからです。涼しくなる夕方まで昼寝をしていました。宿はドミトリーの6人部屋。戻ると暑さにやられた同居人たちがいました。

アルノ川で夕日を


夕方、暑さが少し和らいだ頃、再び街へ繰り出しました。昨日歩いた道をもう一度巡ると、同じ場所でも違った表情が見えるます。特に、空が広いアルノ川沿いの散策は、時間帯ごとに違う魅力を楽しめると思います。


ふと、遠くから笑い声が聞こえてきたり、隣で座っていた家族が微笑み合ったり。どこか幸せそうな空気に包まれていて、心がほっこりしました。



欧州は日本と比較して、サンセットを見るモチベーションが高いと感じます。空が橙色になるにつれて、川沿いの人手は増えていきました。



皆、思い思いの時間を過ごします。



フィレンツェ最後のサンセット。
ジェラートと夜のフィレンツェ



夕食にはパニーニを選び、その後は”Gelateria del neri”でジェラートを。チョコレート、コーヒー、クリームのフレーバーを頼みましたが、どれも濃厚で感動の美味しさでした。評判通りのジェラート店、ぜひ試してみてほしいです。



夜のフィレンツェは暗いけれど、どこか華やかさがあります。広場ではオーケストラが演奏され、テラス席ではディナーを楽しむ人々。豊かでゆったりとした時間が流れるフィレンツェの夜景を、いつまでも眺めていたくなりました。



次回はピサです
フィレンツェは、芸術と美食、歴史と現代が共存する特別な街。早朝から夜まで、その魅力は絶え間なく広がっています。どの瞬間も絵になる風景ばかりで、歩くたびに新しい発見がありました。
次回は、斜塔で有名なピサです。数時間の訪問でしたが十分楽しめました!それではおやすみなさい。