【イタリア旅行記】憧れた水の都・ヴェネツィアを撮り歩く!(地中海4800kmの旅 vol.15)

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チンクエ・テッレの村からヴェネツィアへ

この日の旅路は長かったです。ヴェルナッツァからラ・スペツィアで乗り継ぎ、ピサへ。ピサから1時間ほど列車に揺られ、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着。フィレンツェで高速鉄道(新幹線)Frecciarossa(フレッチャロッサ)に乗り換えました。

ピサからの列車は20分ほど遅延していたので、予約していたフレッチャロッサには乗り継げませんでした。しかし、遅延したことを駅員さんに申し上げると後続の列車に振り替えてくれました。このとき、しっかりと遅延した列車の列車番号、予約した列車の列車番号を伝えたので、スムーズに切符を変更してくれました。

チンクエ・テッレから約6時間、ようやくヴェネツィア本島の駅、Venezia Santa Lucia(ヴェネツィア・サンタ・ルチア)に降り立ちました。

初日は軽くヴェネツィアを散策

ヴェネツィアには3泊する予定だったので、到着したこの日は軽く街を歩き、夕食を食べるだけにしました。長い移動と連日の暑さで身体も疲弊しているでしょうから、休むことも大切です。体を壊したら元も子もありません。

夕飯はトラットリア、“Trattoria Da Mimmo”でヴェネツィアを代表するパスタ、Spaghetti al nero di seppia(イカスミパスタ)をいただきました。イカスミがたっぷり絡んだパスタは濃厚で、海の香りが口いっぱいに広がります。€14.5という価格も良心的でした。

この旅で初めて雨に出会いました。火照った身体が癒された気がしました。というか、少々寒いくらいです。石畳がつやつやと光って美しいです。雨はあまり強くなかったので、傘をさしている人は半分以下でした。それでも、思ったよりも傘をさしているな、という印象です。

宿はヴェネツィア本島ではなく、対岸のメストレに取りました。ヴェネツィア本島はイタリア半島と海を隔てており、本土とは橋でつながっています。日本で例えるならば、ヴェネツィア本島が江ノ島、メストレが藤沢といったところでしょうか。

朝のヴェネツィアを歩く

朝、メストレからサンタ・ルチアまで列車に乗って移動しました。ラグーンへ向かう橋を列車で渡るのはとても気持ちが良いですし、メストレの方が宿のクオリティが高いことが多いので、メストレに泊まるのはかなりおすすめです。ラグーンに近づくにつれてボートが増える光景もワクワクしますからね。ちなみに、メストレからサンタ・ルチアまでの運賃はたったの€1.4です(2022年当時)。

サンタ・ルチア駅を出た瞬間、そこにはまさにヴェネツィアと言いたくなる景色が広がっていました。運河、ゴンドラ、歴史を感じる建物たち。写真で何度も見た光景が、目の前に実在していることに感動を覚えました。

サンタ・ルチア駅の前でRolling Venice card(ローリング・ヴェニスカード)を購入しました。15〜29歳のみ購入可能で、ヴェネツィアの主要交通機関である「ヴァポレット」という船が3日間乗り放題になります。お値段は€28でした。改札の機械にタッチした時点から残り72時間使用可能、というルールです。1回券は非常に高い(確か€8)ので、とりあえず買っておくといいでしょう。4回乗れば元が取れます。

乗り放題パスは購入しましたが、まずは歩いてラグーンを巡ってみます。静かな時間が流れる朝のヴェネツィアを味わうことができました。

朝食は”Bottega del Caffè Dersut”で、ブリオッシュとカッフェ(エスプレッソ)を注文しました。ブリオッシュはイタリアのクロワッサンで、中にピスタチオ、レモンやチョコレートのクリームが入っているものが人気です(プレーンもあります)。この朝はチョコレートのブリオッシュ(Brioche al cioccolato)をいただきました。エスプレッソと合わせてなんと€2.4!やはりイタリアは外で朝ごはんに限ります。ここのエスプレッソは絶品で、滞在中何度も訪れることになりました。

朝のヴェネツィアは、観光客よりも労働者の姿が目立ちます。

車が使えないこのラグーンでは、物流や清掃がすべて船やリヤカーで行われています。彼ら、彼女らが美しいヴェネツィアの立役者です。

ヴェネツィアのメイン運河、“Canal Grande”(カナル・グランデ)に架かる橋の中で2番目に古い、アカデミア橋に登ってみました。

アカデミア橋は1854年11月に、英国人技師のAlfred Neville(アルフレッド・ネヴィル)の設計で鋳鉄製アーチ橋として開通しましたが、1934年に木造の橋として生まれ変わりました。
その後、老朽化で石造りのアーチ橋に架け替えることになり、新しい橋の設計が決まるまでの暫定的措置として、木造アーチ橋が技師Eugenio Miozzi(エウジェニオ・ミオッツィ)の設計で架設され、1933年1月に開通しました。
1985年に架け替えが実施されましたが、なぜかミオッツィ設計と同じ構造の木造橋になりました。次に掛け替えるときは、元通りの鉄製の橋にしようという声が上がっているそうです。

まさしく偉大なる運河、雄大で優美な光景がひろがります。昨夜の雨のせいか、空気が澄んでいて最高の体験です。

ラグーンの歴史

ヴェネツィアの歴史は、西ローマ帝国の崩壊後に遡ります。5世紀ごろ、ゲルマン民族の侵攻を逃れた人々がアドリア海のラグーン(潟)に避難し、次第に定住するようになりました。湿地帯の島々に杭を打ち込み、その上に建物を築くという独特の都市構造が生まれました。

中世には、ヴェネツィア共和国として海洋国家へと成長し、東西交易の要衝となりました。特に十字軍遠征を支援したことでビザンツ帝国との関係を深め、コンスタンティノープルから多くの富や美術品を持ち帰ったことでも知られています。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂には、この時代に略奪したとされる黄金の装飾やモザイクが今も残っています。

しかし、15世紀になるとポルトガルやスペインが大航海時代に突入し、交易の中心は大西洋へと移ります。ヴェネツィアの海洋覇権は衰退し、18世紀にはナポレオンに征服され、その後はオーストリア帝国の支配下に入りました。最終的に1866年、イタリア統一運動の中でヴェネツィアはイタリア王国の一部となりました。

イタリアがいまの形になったのは、思ったよりも最近のできごとです。そのせいか、イタリアの人々は国家よりも都市に帰属意識があると聞いたことがあります。現在でも、北イタリアの人々は都市国家が多かったので地方分権的な政治を望み、一方で南イタリアの人々は両シチリア王国とナポリ王国の影響が強かったためか、中央集権的な政治を望んでいるそうです。

現在のヴェネツィアは、地盤沈下と高潮(アックア・アルタ)の影響を受け続けています。特に冬から春にかけて、サン・マルコ広場が浸水することは日常茶飯事です。さらに、観光業の発展により居住費用が高騰し、地元住民の多くが島を離れつつあります。現在、本島に住む住民はかつての数十万から5万人以下にまで減少しているとも言われています。

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂とサン・マルコ広場

ヴェネツィアのランドマーク、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂は現在工事中でした。工事中の姿はなかなかお目にかかれない気がするので、得した気分ですね。幕にはファサードがプリントされています。大切にメンテナンスされて、この街を長く見守ってくれることを願います。建物の老朽化よりもラグーンの地盤沈下が心配ですが…

サン・マルコ広場「世界一美しい広場」と称される場所。ヴェネツィアのラグーンの中心であり、歴史的な建築が広がります。ここに立つと、この街がいかに特別な場所であるかを改めて感じます。写真で見るよりも、はるかに大きいです。人が少ない朝の方が、その大きさと偉大さを実感できると思います。

一際高いのが大鐘楼。エレベーターで展望台に登ることができます。

広場の中で圧倒的存在感を放つ建築は、サン・マルコ寺院です。

サン・マルコ広場はヴェネツィア本島の中心であるだけでなく、海の玄関口でもあります。船着場が並び、沖には船が多く航行しています。

この石造りの橋は、ため息橋(Ponte dei Sospiri )。ドゥカーレ宮殿の尋問室と牢獄を結ぶ橋で、ため息橋からの景色は罪人が投獄される前に拝める、最後のヴェネツィアでした。このとき、罪人がため息をつくということから、バイロン卿が著書「チャイルド・ハロルドの巡礼(Childe Harold’s Pilgrimage)」のなかで”Bridge of Sighs”と書き記したのが由来です。
日本にも、罪人が処刑される前に涙を流したとされる「泪橋」が荒川区と品川区にひとつずつありますね。

商業の中心地・リアルト橋

サン・マルコ広場はヴェネツィアの玄関口であり、政治的な中心地としても栄えました。一方で、リアルト橋(Ponte di Rialto)の周辺は海抜が(ヴェネツィア本島のなかでは)比較的高く洪水の被害も少ないため、ラグーン内で最も早い段階で集落ができ、商業の中心地として発展しました。

初期のリアルト橋は木製の跳ね橋でした。しかし、パレードの見物人の重みで崩壊したり、火災が発生したりしたため、石造りの橋に変更する声が上がりました。ヴェネツィア共和国は1557年に設計案を一般公募し、アントニオ・ダ・ポンテの設計を採用して石造りの橋が完成しました。このコンペには、あのミケランジェロも参加していたそうです。ダ・ヴィンチといいミケランジェロといい、一流のアーティストは数学も建築も達者なのが恐ろしいです

リアルト橋から望むカナル・グランデの風景。アカデミア橋周辺とは異なり、運河沿いに通りがあって多くの人で賑わっています。現在はレストランのテラス席が面積の多くを占めているようです。商業の中心であったことが、橋周辺の構造から伝わってきます。また、リアルト橋の上にはアーケードが作られており、商店が並んでいます。

ヴァポレットに乗ってカナル・グランデから街を眺める

せっかくRolling Venice Cardを購入したので、意味もなくヴァポレットに乗ろうと思います。お金を気にせずに乗りまくれるのが、乗り放題きっぷの良いところですね。

最前部は人気ですが、人が全然いなかった最後尾を確保。ヴァポレットは大型の船で、ヴェネツィア本島のメイン運河、カナル・グランデを航行します。

ヴェネツィアのゴンドラと、漕ぎ手の「ゴンドリエ」がカナル・グランデを進む光景は、まさしくヴェネツィアといった光景。さきほどから何度も「ヴェネツィアらしい」などと繰り返しておりますが、ご容赦ください。それほどまでに、ヴェネツィアは憧れたまんまの風景だった、ということです。

リストランテから突き出した花壇を見られるのもヴァポレットならでは。

想像よりは綺麗でしたが、近くで見ると水は結構汚いです。私の故郷を流れる隅田川に似ていて、懐かしい雰囲気の水質です。1955年製作の映画「旅情(Summertime)」で主演女優を務めたキャサリン・ヘップバーンがヴェネツィアの運河に落ちるシーンを演じた後、運河の雑菌が眼球に入ってしまい、失明寸前まで悪化したそうです。カナル・グランデは水の流れがいいので綺麗な方ですが、入り組んで水が滞留した運河はもっと汚いでしょう。絶対に落ちないようにしてくださいね。

これはヴェネツィア本島唯一といってもいいモダニズム建築、サンタ・ルチア駅です。オーストリア帝国領時代の1861年に開業した、ヴェネツィア本島唯一の鉄道駅です。現在の駅がある場所に建っていたサンタ・ルチア教会を取り壊して駅を建設したため、教会の名をとってサンタ・ルチア駅と命名されました。

リアルト橋はヴァポレットから眺めるのが一番美しいかもれません。

運河の水はなるべく遠くから見るのがポイントです。じっくりと見てはいけません。船の航行で生じる水飛沫を少々浴びることとなりますが、気にしてはいけません。

ヴェネツィアの路地に迷い込む

ヴェネツィアは大通りも魅力的ですが、路地こそにこの街の魅力は詰まっており、ヴェネツィアらしい風景が拝めると思います。

ある程度日が高くなってから散策すると、路地にも光が入ってきて写真が撮りやすいと思います。暑さとトレードオフですが…笑

お昼ご飯の時間になりましたが、案の定、暑くてお料理が入るコンディションではありません。二度目の”Bottega del Caffè Dersut”で軽食を摂りました。ペストリー2個とエスプレッソで€3.6でした。

人が少なく、入り組んだ小道に足を踏み入れると、どこにいるのかわからなくなるほどです。

しかし、あえて地図を見ずに歩いてみるのがおすすめです。迷子になって歩き続ければ、思いがけない景色や、隠れた名店に出会えると思います。夏は熱中症にならないようにしてくださいね。

サンタ・ルチアの駅前に出てきました。これにて路地散策は一旦終了です。カフェで休んで夕日に備えます。

サン・マルコ広場の大鐘楼からの絶景に出会う

サン・マルコ広場に戻ってきました。夕日を眺めるためにサン・マルコ広場の大鐘楼に登るべく、予約をしていました。大鐘楼は予約なしでも登れるそうですが、結構な行列ができていることが多いので、時間が限られていたり、夕日などの見たい景色があれば予約することをおすすめします。

大鐘楼の展望台からヴェネツィアを見渡すと、ヴァチカン美術館に展示されていた絵画とほぼ変わらない風景が広がっていました。赤茶色の屋根、そびえ立つ鐘楼、教会。そして遠くには虹が。なんて運が良いのでしょう。

この美しい小島はサン・ジョルジョ・マッジョーレ島。今回の旅では行きませんでしたが、あの島の鐘楼も登ることができます。空気が澄んでいる日は、遠く東アルプス山脈のドロミティ山塊を望むことができるそうです。

なんという絶景。我ながら神がかった予約時間です。

サン・マルコ広場を上から見ると、少し歪んで見えます。実際にこの広場は台形になっており、遠近法を活かして奥行きを感じられるように設計されているようです。

鐘楼を出て、サン・マルコ広場に降り立ちました。いざ地平に降りると、サン・マルコ広場が台形であることはかなりわかりづらいですね。一回知ってしまえばそう見えるかもしれませんが。

夕暮れのカナル・グランデを撮る

夕暮れのヴェネツィアを歩きました。サン・マルコ周辺は海も空も広く、地中海の覇権国家であったことを感じる風景です。水面に映る光が美しく、時間が止まったような感覚になります。

アカデミア橋から夕暮れのカナル・グランデを撮影しました。行き交う船と夕日に照らされる聖堂、そして美しい空。最高の風景に出会うことができ、ヴェネツィアに来て本当によかった、と感じた瞬間でした。

夕飯は「Al Caffèier」という素朴なトラットリアでシーフードリゾットをいただきました。ヴェネツィアがあるヴェネト州はイタリアでも稲作が盛んな地域で、米料理が多いです。魚介の旨みがたっぷり染み込んだリゾットは絶品でした。

次回は世界最古のカフェとブラーノ島へ行きます

こうしてヴェネツィアの1日目は幕を閉じ、22:39発のTrieste(トリエステ)行きRegionale Veloce(レジョナーレ・ヴェローチェ 、準急列車)に乗ってメストレの宿に帰りました。余談ですが、日本にはカフェ・ヴェローチェがありますね。「ヴェローチェ」はイタリア語で「迅速」を意味するそうです。なお、Espresso(エスプレッソ)は「急行」です。

ゆっくり休んで、明日からも美しい水の都をじっくり楽しもうと思います。
明日は世界最古のカフェ、カッフェ・フローリアンを訪れ、その後はカラフルな家々が有名なブラーノ(Burano)島に向かいました。それではおやすみなさい。

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この記事を書いた人

横浜市在住のエンジニア。1998年生まれ、26歳です。カメラを片手に25カ国を旅してきました。遠い地の生活を垣間見ることが私の旅のテーマです。

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